『20世紀少年・第二章』や『少年メリケンサック』を見逃し続けていてて、ムーブ・オーバーで快適とは言い難い劇場でしかやってない。ここまでくると、DVDまで待つか。TSUTAYAに行かない自分は見逃すのだろう。
宮﨑あおいの出演作ラッシュはまだまだ続いていて、その度に青山真治作品以降は「宮﨑あおい」ブランドが徐々に高騰して、「篤姫」ビフォー&アフターの時期の撮影作品により役柄が変わっているのではないかと勝手に想像している。
月9から最も遠い作品とかハリウッドとかアジアのスターとの競演とかはたまた仏の巨匠あたりなんてどうだろうと妄想する。
実は彼女にやってほしい題材はあるのだが、当ブログは、著作権にまつわる知識と判例をベースにしたフィクションであり、縦軸になる物語は、老作家とゴーストライターのサスペンスである。
今回は続編・スピンオフだが、法的解釈としては契約次第、契約が明確でなければ、著作者名表示で権利関係を推定するよりほかなく、この狭い業界内では紛争が起きれば、信義誠実の原則で解決を求められるし、そもそも紛争が発生しない、明るみにならない、そして裁判になるのは、よほどの事情ということもあって、なかなか難しい。
ソフト・ローという学者もいるが、これも講学上、どうなのか。
だが、宮﨑あおいのキャリアを考えて、松嶋菜々子みたいにならないことを祈り、次回作の設定を考えた。
『篤姫エピソード・ゼロ』と『続・純情きらり』は、ちなみに宮﨑あおいの作品と想定して考えるものではない。あくまで勝手にスピン・オフ作品として、見たいというだけである。
『篤姫エピソード・ゼロ』は堺雅人のビフォーである。あの徳川の血に悩む青年を見たい。しかも『大奥』とは違うタッチで。瑛太の小松帯刀がかなり便利に人物造形できたのだから、このキャラもネタはあるはず。『続・純情きらり』については、「山長」の半纏を商品化しなかったNHKに落胆するだけなのだが、
福士君演じる松井達彦と桜子の間の息子のその後である。福士君には『峠の群像』の続編である『俯き加減の男の肖像』とか演じてみてほしい役者なのだが、ちょいと見たい。
さて宮﨑あおいである。ずばりA新聞阪神支局事件の遺児であり、そして自らも新聞記者になった半生である。詳細は語るまい。
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