2011年3月28日月曜日
2011年3月27日日曜日
637.サンデーソングブック
先週は、トークなし。今週は、棚から一掴みも静かな曲をかけるため、
一度かけた曲は、二度かけないというポリシーは封印。手作業は継続、ハガキのみも守る。
今日もいい選曲。
四月からのタイアップは直し。六本木のスタジオは、電圧が安定せず、シンセがうまくないとか。
矜恃ある職人に、感謝。
ラジオのチカラを見直せ。
一度かけた曲は、二度かけないというポリシーは封印。手作業は継続、ハガキのみも守る。
今日もいい選曲。
四月からのタイアップは直し。六本木のスタジオは、電圧が安定せず、シンセがうまくないとか。
矜恃ある職人に、感謝。
ラジオのチカラを見直せ。
2011年3月26日土曜日
635.311から②
3月22日 週明けの作業、またストレスがたまる。勝手なことを言うヤツが多すぎる。また余震。宿泊体制も解除。原発も通電。
しかしなかなか正常化しない。
23日 深夜食堂最新刊、まだまだ楽しめる。原発作業員、消防隊員、自衛隊などなど、頑張っている人に感謝。
自分の無力がいかんともしがたい。次代の子供たちに申し訳ない。
24日 作業員の事故。普段の作業でもこんな運用だったらと思うと、管理責任を甘く見てたのではないか、発電所は。
地元のカフェは核シェルターみたいになってきた。
25日 宇宙兄弟⑬、泣ける。へうげもの⑫、深い。twitter、いろいろとみえてきた。
いとうせいこう、行動。島田、チャリティ、高橋、メッセージ。一滴の雨も気になる。
しかしなかなか正常化しない。
23日 深夜食堂最新刊、まだまだ楽しめる。原発作業員、消防隊員、自衛隊などなど、頑張っている人に感謝。
自分の無力がいかんともしがたい。次代の子供たちに申し訳ない。
24日 作業員の事故。普段の作業でもこんな運用だったらと思うと、管理責任を甘く見てたのではないか、発電所は。
地元のカフェは核シェルターみたいになってきた。
25日 宇宙兄弟⑬、泣ける。へうげもの⑫、深い。twitter、いろいろとみえてきた。
いとうせいこう、行動。島田、チャリティ、高橋、メッセージ。一滴の雨も気になる。
634.311から①
3月11日 地震。電車が動かず、会社で宿泊。同居人もバイト先のオーナーの家に。
12日 朝、仙台に赴任した友人の無事を確認。自宅は大したことはないことを、同居人が確認。夜に原発が爆発。
通常体制に戻れないことを確認。夜10時に帰宅。停電・断水に備えて、風呂桶に注水。避難袋を見直しておいてくれ
た。とにかく寝る。
13日 同居人が買出し。とろろ昆布、保存食、乾電池を購入していた。乾電池その他を追加でいこうとしたが、原発が怪しく
なってきた。そのまま節電・家にこもる。
14日 早めに出社。そのまま宿泊。4月からのプロジェクトを先行実施。地震から原発事故と言う感じになってきた。
15日 マスク。めがね。首にタオル。フードを被る。パンツ・コートを2軍を着用。静岡でも地震。浜岡原発の位置を知り、愕然。
16日 計画停電開始。朝5時に出る。どうにかラッシュに巻き込まれず。自由が丘の駅は人があふれたとか。
17日 ようやく知り合いの無事を確認するメールを送る余裕ができる。今日も宿泊。長く同僚Tと話す。
18日 まだ停電・電車・原発が微妙で、テレビ番組もL字、CMもAC。夜に同僚Iと久々に話す。地元のカフェで久々の一杯。
父親が福島まで被災した人の話を聞くが、無事だったと言うことで、よかったという。
それ以上、何も言えない自分のボキャ貧が情けない。
19日 マスク、レインコート、買い物をする。(あとから19・20・21と放射性物質が舞っていたことがわかる)
外食もなかなかできない。
20日 隣駅のそば屋、水を購入。出社。雨を避けてよかった。判例を読むが、頭に入らない。
21日 雨が弱いうちに、帰宅。テレビはL字抜けた。テレビも正常化へ。
12日 朝、仙台に赴任した友人の無事を確認。自宅は大したことはないことを、同居人が確認。夜に原発が爆発。
通常体制に戻れないことを確認。夜10時に帰宅。停電・断水に備えて、風呂桶に注水。避難袋を見直しておいてくれ
た。とにかく寝る。
13日 同居人が買出し。とろろ昆布、保存食、乾電池を購入していた。乾電池その他を追加でいこうとしたが、原発が怪しく
なってきた。そのまま節電・家にこもる。
14日 早めに出社。そのまま宿泊。4月からのプロジェクトを先行実施。地震から原発事故と言う感じになってきた。
15日 マスク。めがね。首にタオル。フードを被る。パンツ・コートを2軍を着用。静岡でも地震。浜岡原発の位置を知り、愕然。
16日 計画停電開始。朝5時に出る。どうにかラッシュに巻き込まれず。自由が丘の駅は人があふれたとか。
17日 ようやく知り合いの無事を確認するメールを送る余裕ができる。今日も宿泊。長く同僚Tと話す。
18日 まだ停電・電車・原発が微妙で、テレビ番組もL字、CMもAC。夜に同僚Iと久々に話す。地元のカフェで久々の一杯。
父親が福島まで被災した人の話を聞くが、無事だったと言うことで、よかったという。
それ以上、何も言えない自分のボキャ貧が情けない。
19日 マスク、レインコート、買い物をする。(あとから19・20・21と放射性物質が舞っていたことがわかる)
外食もなかなかできない。
20日 隣駅のそば屋、水を購入。出社。雨を避けてよかった。判例を読むが、頭に入らない。
21日 雨が弱いうちに、帰宅。テレビはL字抜けた。テレビも正常化へ。
2011年3月19日土曜日
2011年3月6日日曜日
2011年3月3日木曜日
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