『龍馬の暗号』を読んでいる。
坂本がフリーメーソンだったという。
先日NHKで放送された「ヒストリア」でも何となく匂わせていた。
私はかつて小学生時代に、『竜馬がゆく』を読んでからの「龍馬ファン」である。
何度か、『竜馬がゆく』を読み直してもいる。
そのあたりを同居人に話したら、「そんなの、長崎のグラバー邸に行ったときから私は気づいてたよ。」だって。フリーメーソンのマークがあったこと、そうでなければできない坂本の仕事、そして歴史の舞台となったあたりのだだならぬ雰囲気。
何とも複雑。
2009年6月29日月曜日
2009年6月28日日曜日
2009年6月27日土曜日
2009年6月26日金曜日
2009年6月25日木曜日
2009年6月23日火曜日
87.ハゲタカか腐蝕列島か
『ハゲタカ』は結局、M&Aという道具立てを使ったハードボイルドだから、主人公は悩まない。
『金融腐蝕列島』は銀行員といえど、一介のサラリーマンだから、悩む。
失敗もする。悩みながら、法のすれすれのところをこわごわ歩いたりする。
同じような事件を下敷きにしながら、読後感が異なるのは、「悩む」の一点につきる。
ビジネスの現実解は、絶対的なものではなく、ある種、相対的で、その場面の最善とみんなが信じることをやっていくしかない。たとえ、明日になったら、最悪だとしても、今日、最善だったら、やる。
そのために、いろいろと悩む。弱い、しかしもてる。
このあたりが、通勤電車のお供だからか。
高杉良はタダモノではない。
『金融腐蝕列島』は銀行員といえど、一介のサラリーマンだから、悩む。
失敗もする。悩みながら、法のすれすれのところをこわごわ歩いたりする。
同じような事件を下敷きにしながら、読後感が異なるのは、「悩む」の一点につきる。
ビジネスの現実解は、絶対的なものではなく、ある種、相対的で、その場面の最善とみんなが信じることをやっていくしかない。たとえ、明日になったら、最悪だとしても、今日、最善だったら、やる。
そのために、いろいろと悩む。弱い、しかしもてる。
このあたりが、通勤電車のお供だからか。
高杉良はタダモノではない。
2009年6月22日月曜日
2009年6月21日日曜日
2009年6月20日土曜日
2009年6月19日金曜日
2009年6月17日水曜日
81.美女コンテスト
株式投資については、結局、美女コンテストだと言われる。
審査員となった投資家が、自分の好みではなく、そのサークル内でもっと支持されるものを予測して選ぶというメカニズムが似ている。
だから結果として、客観的にもっと美しいものが選ばれているわけではない。
そして会社も、採用活動を行うときは、会社にふさわしい美女を探すゲームだと言われる。
しかし、それが単なるきれいごとだと思うと同時に、いややはりそうだったというのを気づく瞬間が、この季節である。
審査員となった投資家が、自分の好みではなく、そのサークル内でもっと支持されるものを予測して選ぶというメカニズムが似ている。
だから結果として、客観的にもっと美しいものが選ばれているわけではない。
そして会社も、採用活動を行うときは、会社にふさわしい美女を探すゲームだと言われる。
しかし、それが単なるきれいごとだと思うと同時に、いややはりそうだったというのを気づく瞬間が、この季節である。
2009年6月16日火曜日
2009年6月15日月曜日
2009年6月14日日曜日
2009年6月13日土曜日
2009年6月12日金曜日
76.懐かしの1989年
先日、美女4人と私という組み合わせで飲んだ。
そのうち3人は大学の同級生だという。
こんなクラスに居たら、楽しかっただろうな、と自分の地味な学生時代が悲しくなった。
今でもできること、今はもうできないこと。
祭りの熱狂を脇から見ていた自分のやりきれなさと焦燥感だけが、今も痛い。
どこで別れたのか。
そのうち3人は大学の同級生だという。
こんなクラスに居たら、楽しかっただろうな、と自分の地味な学生時代が悲しくなった。
今でもできること、今はもうできないこと。
祭りの熱狂を脇から見ていた自分のやりきれなさと焦燥感だけが、今も痛い。
どこで別れたのか。
2009年6月11日木曜日
75.Data for nothing
マスコミ論がいつのまにかメディア論になり、情報工学とセットになったところで、社会科学としてのマスコミ論は役割を終えたと思う。
「メディアはメッセージ」であるというマクルーハンの存在があったが、所詮、マスコミ論は「メッセージの内容」にフォーカスして議論してきた。
しかし形式・量という工学的視点から機能論に論じられ、かつ生産的な議論で語られると、従来の研究は陳腐な紋切り型の議論の繰り返しに見え、古典的として排除されたのだろう。
しかし現在はむしろ古典的な研究こそが求められる。
メディアの形式が刷新された後、先祖帰りするときに必要なのは内容だ。
芦部憲法学の「二重の基準論」や樋口憲法学の憲法は個人の価値観に立ち入らないという議論とは別に「メッセージの是非」を問うべきだ。
最近、蒲島郁夫熊本県知事は、政治学者と政治家の違いは、現実の中で具体的解決をさぐることだという発言があった。かつては世論調査の一人の回答は均一な一票以上の価値はないという感覚だったという。しかし今は、一人一人が均一と言うことはありえないという。
大きな変化だ。
「メディアはメッセージ」であるというマクルーハンの存在があったが、所詮、マスコミ論は「メッセージの内容」にフォーカスして議論してきた。
しかし形式・量という工学的視点から機能論に論じられ、かつ生産的な議論で語られると、従来の研究は陳腐な紋切り型の議論の繰り返しに見え、古典的として排除されたのだろう。
しかし現在はむしろ古典的な研究こそが求められる。
メディアの形式が刷新された後、先祖帰りするときに必要なのは内容だ。
芦部憲法学の「二重の基準論」や樋口憲法学の憲法は個人の価値観に立ち入らないという議論とは別に「メッセージの是非」を問うべきだ。
最近、蒲島郁夫熊本県知事は、政治学者と政治家の違いは、現実の中で具体的解決をさぐることだという発言があった。かつては世論調査の一人の回答は均一な一票以上の価値はないという感覚だったという。しかし今は、一人一人が均一と言うことはありえないという。
大きな変化だ。
2009年6月10日水曜日
2009年6月9日火曜日
2009年6月8日月曜日
2009年6月6日土曜日
70.ふたりの鈴木
会社にいると、いろんな存在が必要で、自分がぶれた時に基準となる人、そしてとにかく話を聞いてもらう人が貴重だ。しかし私は3月に前者を失った。いまだに迷走するのはそのせいだ。
教育という言葉がほとんど学校教育という意味になった戦後、20世紀にあっては、仕事や遊びなど何でも教える人、育てる人がいるという事実を忘れている。もちろん教え、育てられる人がいる以上、教える人、育てる人がいるという事実がほとんど空気のようになっていることは悪いことではない。
また結局は、教え、育てられる人次第であることを考えるとその機能については、効率性よりも、何かを得たということ、それが些細なことでも十分だということの方が重要だ。
そして学校教育にしぼると、この世には教師だった人と教師である人と、「大部分のそれ以外の人」がいる。
『鈴木先生』の7巻を読んだ。「大部分のそれ以外の人」にはmust buyである。教師である人には出会ったら、読んだ方がいい。最後の教師だった人には、自分の過去が重くない人は読めるだろうが、そうではない人には劇薬である。
常々、先生という言葉は優しいが、「教師」という言葉はつらいと考えてきた。「教士」ではいけないのか、スキルを得て、試験に合格し、OJTで成長していく立場は会計士とか弁護士と同じだと思う。
「教師」がハマるのは、三流週刊誌の「豊満女教師が脱いじゃった!知性と裏腹な下半身」の中吊りくらいだろう。
教育という言葉がほとんど学校教育という意味になった戦後、20世紀にあっては、仕事や遊びなど何でも教える人、育てる人がいるという事実を忘れている。もちろん教え、育てられる人がいる以上、教える人、育てる人がいるという事実がほとんど空気のようになっていることは悪いことではない。
また結局は、教え、育てられる人次第であることを考えるとその機能については、効率性よりも、何かを得たということ、それが些細なことでも十分だということの方が重要だ。
そして学校教育にしぼると、この世には教師だった人と教師である人と、「大部分のそれ以外の人」がいる。
『鈴木先生』の7巻を読んだ。「大部分のそれ以外の人」にはmust buyである。教師である人には出会ったら、読んだ方がいい。最後の教師だった人には、自分の過去が重くない人は読めるだろうが、そうではない人には劇薬である。
常々、先生という言葉は優しいが、「教師」という言葉はつらいと考えてきた。「教士」ではいけないのか、スキルを得て、試験に合格し、OJTで成長していく立場は会計士とか弁護士と同じだと思う。
「教師」がハマるのは、三流週刊誌の「豊満女教師が脱いじゃった!知性と裏腹な下半身」の中吊りくらいだろう。
2009年6月5日金曜日
2009年6月4日木曜日
2009年6月2日火曜日
66.本好きは幸せになれない?
大崎梢の『配達赤ずきん』を読む。
書店が舞台のミステリーで、知り合いから勧められたのだが、着眼点はよし。
しかし結末が無愛想なのはデビュー作ゆえか。
紀田順一郎の『古本屋探偵』のほうが好きだ。
特に女性キャラに魅力が無いかも。
書店が舞台のミステリーで、知り合いから勧められたのだが、着眼点はよし。
しかし結末が無愛想なのはデビュー作ゆえか。
紀田順一郎の『古本屋探偵』のほうが好きだ。
特に女性キャラに魅力が無いかも。
2009年6月1日月曜日
65.出版権って
googleの和解である。何となく作家については、これで落着。問題は出版社だろう。
エージェントに替わり、版権管理、そしてメディア展開まで曖昧な契約でやっているのが、日本の出版社である。このあたりの権利関係が捨象される和解について、うまく考えないと今後のビジネスが難しいのではないか。
googleの高速スキャンでデジタル化される元は書籍なのだ。
書籍に関わる人は作家だけではないだろう。
編集者・出版社の権利関係を整備するべく、動いたほうがよいではないか。
今日は若くて尊敬できる人の誕生日だ。
まだアーティストなのか企業家なのかわからない。
でも頑張れば、何とかなる。
エージェントに替わり、版権管理、そしてメディア展開まで曖昧な契約でやっているのが、日本の出版社である。このあたりの権利関係が捨象される和解について、うまく考えないと今後のビジネスが難しいのではないか。
googleの高速スキャンでデジタル化される元は書籍なのだ。
書籍に関わる人は作家だけではないだろう。
編集者・出版社の権利関係を整備するべく、動いたほうがよいではないか。
今日は若くて尊敬できる人の誕生日だ。
まだアーティストなのか企業家なのかわからない。
でも頑張れば、何とかなる。