11月23日
旅と日々。
メタフィクション。
でもなぜ韓国俳優?
学芸大Dでランチ。
その後、Oでコーヒー。
べらぼうは本日もありがた山。
まだ1日休みはある。
11月8日
2025年、今年は昨年末からの弊社の不祥事があったものの、一般社員には危機的状況だとは認識しておらず、昨年に発生した地震の元日に比べれば、すこやかなものであった(そうではなければ、年末の公式行事の馬鹿騒ぎは何だったのか)。甥っ子たちとポケモンしたり、キャッチボールして楽しさを覚えた。
そして3日に遊び用のグラブを買って、キャッチボールをし始めたら、はじめてパートナーとしての共感を得る体験であった。
年頭の経営者の発言は我々世代の狙い撃ちのような人事制度を再考するように見えたが、そうならばこの数ヶ月に至る数年間のストレス、不利益は何だったのか。これを遡及して補償することは無いとするならば、属人的なことではないのか(実際に自分を含め、かつての地位を取り戻した者はいない。体制変更後もそうである)。僻み根性かもしれないが、企業とはこのような不公平な扱いを行う。一期下に対する扱いはこれとは異なる。
助手の師匠の逝去により流派の内輪揉めに巻き込まれ、書法をめぐる議論ではなく、単なる利権争いに堕した状況は助手を苦しめた。
弊社の不祥事は単なる不心得者の事例とその対処の拙さが全社の誤りとされ、ビハインドの風が吹いた。
そんな中にありながら、弊社の保養施設のカニ尽くしの料理と定番朝食は、二人に最上のものは間違いないという確信を与えた。最近出会った早川の懐石の名店もそうだ。遅すぎたかもしれないが、確実な幸せであった。
そして3月末の耳下の腫れから自分は肺線ガン、それもステージ4という診断を受けた。今までの身勝手な振る舞いは助手を苦しめてきたにも拘らず、さらなる自分本位の生活を支えてくれた。
秋にはヤマタツのライブにも同行してくれた。
助手はこれからは自分の才能に向き合うべきだ。自分の才能を疑わない強さも才能である。しかしその才能の範囲についてまだ見えていない。それをどう発信するか、そのためにいかに効果的かどうかスケジュールを含めた打ち出しがまだ見えてない。
私の終点は明確ではないが、限りがあることは自覚せざるを得ない。そしてそれがいつなのかわからない以上、助手を最後まで支えられないことが残念ではあるが、何が重要であるかを伝えることの意義を実感する。
助手に才能はある。それを打ち出すタイミングと方法が伴っていない。しかしそれはきっといつか具備できる。それはできる。信じている。それをここに述べる。どこかで助手に伝えたい。それが現時点の遺言である。
11月6日
咳が止まらず、リモートに。
松重さんの「隣の国のグルメイト」と小栗旬の「匿名の恋人」を観る。
「グルメイト」は日本の方が強い。「匿名の恋人」はバブル時代の日本ドラマなら敢えて外した、「おしゃれに納豆」みたいな趣向があったが、今の韓流はスタイルを突き詰めるところがブランド的なタイアップがあるからゴージャスに見えて、安っぽくないとする評価ならば、残念だ。日本でも焦点を絞ればできる。
俳優たちが世界、汎アジアを目指す動きに対抗できる。
11月7日
今日もリモート。
鼻水、痰も出てきて、ウィルス性の風邪か。