2009年4月30日木曜日

31.いきなり青春プレイバック

同世代の人と話していて、話題になる番組が二つある。NHK教育テレビ「YOU!」と文化放送「ミスDJリクエスト・パレード」。
「YOU!」は糸井重里司会の若者情報番組で、その後の教育テレビの路線を変えただけでなく、テレビ番組の流れを決定づけたと思う。
その中のミニコーナー、唯一のVTR取材コーナーだったのが、「青春プレイバック」だ。スタイルは、各界の著名人とマリアン(後に荻野目慶子)が、青春の思い出の場所を訪ねるというもので、大体昔の下宿やアパートに行くのです。
さて、昨日、世田谷の北烏山でやっている「一衣舍春展 2009 一衣舍設立20年」(会場 『本覺山 妙壽寺 鍋島客殿』(区指定文化財)というのに、同居人のつきそい兼財布で行ったのだが、さすが「寺町」「小京都」という風情も楽しめた。
そしてバスで千歳烏山に異動。12年前、結婚する前に住んでいたアパートの前を通ったのです。
ベランダにはプランターをつるし、ガーデニングを楽しむ今の住人。相変わらず汚い外観だが、うまく住んでるものと感心し、まわりの変わったものに驚き、変わらないものに興奮した。
そして昔からある「紅茶の店・ケニヤン」でアイミティーを飲み、満足。(このお店は渋谷の公園通りの一歩入ったあたり、SHIPSの近くにもある。)アイミティーはアイスミルクティーだが、この甘くてすっきりした味は奇跡です。
そして変わったものは、新しいケーキ屋「ラ・ヴィエイユ・フランス 本店」で、ミルフィーユを買う。
甘いものばかりだ。
ちなみに、私の昔の夢は、「RYU’S バー」と「徹子の部屋」とこの番組に出ることでした。
小さい。

2009年4月29日水曜日

30.豚インフルの時代の恋

ガルシマ・マルケス『コレラの時代の恋』、スーザン・ソンダク『 隠喩としての病い エイズとその隠喩』、そして新型インフルエンザの時代に必要な文学とは何か?
感染源不明、世界同時的流行、そして経済的な打撃、そして生き残る人々による新世界創造だとすると、従来型の文学だ。
何が始まる?
おそらくそれは、ブログから発信されるはずだ。
その前に、自分の恋路は・・・。

2009年4月28日火曜日

29.No! Man ティーンの魂、百まで。

googleのブログを使用してはいるが、googleの「技術は善」という理想主義の結果、従来の文化を再編成するアプローチは詰まるところ、ameican styleだ。

米国でのgoogleと著作権団体との和解はその内容はどうであれ、class actionという和解方式は、米国法のやり方で、著作権法特有のものではない。

集団訴訟の場合、和解に不満な対象者が離脱の意思を表明しないと、和解内容に拘束される。

しかもそれが域外であるはずの日本の対象者にも及ぶというのである。日本は逆で、参加を表明しないと、利益を受けられないが、拘束もされない。「アメリカ合州国」と言われる国家らしいやり方だが、日本の作家が米国で出版されていないと言う事実が、即絶版状態であり、米国内での権利を喪失したと同じ結果を招き、さらにそれが世界中でも同様の結果を生むとしたら、これはやはり米国による「司法占領」だろう。しかもそれが技術の理想郷であるgoogleであるところ、かつてのユートピア米国の帰結と何も変わらない。

最も、国境自体が無意味化する現代(世界中が米国化したのかも)、著作権というものの国別の権利に意味があるのかということ、法管轄や準拠法という実務と直結する部分は、著作権法学のHOTなところだと思う。日本版検索エンジン開発のための複製を可能にするとか、日本版フェアユースだとかよりも重要な研究課題ではないだろうか。

最近読んでる少女マンガは、きらきらしたキャラがまぶしい。この輝きに「NO!」ばかり言っていたのか、あるいはチャンスを逃した男が得られなかったもの、日々、後悔し、せつなくなる。
その渇望から何が生まれるのか。

2009年4月26日日曜日

28.money for nothing

NHKスペシャル『マネー資本主義』を見た。
相も変わらず、事情を知る人物から証言を取る取材はNHKらしい。プレゼンターのいるCGスタジオは、海外の番組や民放の番組ぽい。(『ザ・コーポレーション』というドキュメンタリーを渋谷アップリンクで見たが、似た手法に見えた)
投資銀行の陥った穴については、わかりやすい。しかし金融商品全体に対する全否定だとすると間違いだ。
資本主義の唯一の意味・機能は市場の均衡に向かい、常に調整し続けるというプロセスなのであり、歪みや不均衡があれば、それを解消すべく、調整する動きがあるということだ。
その歪みや不均衡を含めた経済の日々の活動を追って、その流れで利益を上げていくのが金融機関なのである。リスクを取り、さまざまな形でヘッジしていく。その連鎖が切れたというのが、今回の金融危機だが、その中のプレイヤーの一部が歪みや不均衡の原因を作り、長年の積み重ねで、抱えきれない量にまで達していたということだ。より透明な市場ならば、もっと影響の少ない形で、もっと早く歪みや不均衡は解消していたはずだ。
「証券化」や「モーゲージ債」自体は悪くない。悪いのは、これを不当に扱った人間だ。
例えば、著作権の「証券化」は、エンジェルのいない日本では必要だ。
小室容疑者の著作権二重譲渡問題だが、民法の対抗要件でいまだ難問であることを考えると、あらゆる業界の売買取引で発生する問題であり、これを解決する理論は、画期的な発明なのである。それを法技術的に解決する手段のひとつなのだから、一部のファンドだとか金融機関の悪行のせいで、否定するものではない。
例えば、このブログで構想される「作品」の著作権を証券化する際には、次の問題がある。
1.著作権の内容が不明
2.著作物・著作権の市場価値が不明
3.作品の完成する保証がない
4.以上から出資者(金融商品の購入者)がいない。
しかし出資者と作者を仲介する者がいて、それぞれが相当なリスクを取り、納得できる利得を得る期待があれば、その仕組みをアレンジできるはずだ。この仕組みのひとつが「証券化」である。
全5回の中で、マネー資本主義を取り巻く群像だけではなく、最終的に、僕らひとりひとりが、プレイヤーとして、自己責任の範囲で、社会の厚生を増大させるべく、コミットできることを理解させてほしいと思う。
商品、金、そして食も。

2009年4月25日土曜日

27.editor's note

創作ノートというよりeditor's noteになりつつあるこのブログ。最近はリサイクルである。
リサイクル3である。
WILDSWANSのeditorというバックを買って、スーツを仕立てる一方で、リサイクル(廃棄に近いが)も続けている。
1.POWERPC7500
15年同居して、最近では単に置物だったデスクトップPCをディスプレーとセットで7,350円で処分。
ここまで放置したことに反省。データバックアップ等結局失敗したものも多数あって、早く着手すればよかったと後悔した。手順は、フリーダイヤルが通じなかったので、FAXで申し込み、2,3日して振込み票が来て、郵便局(銀行)で振り込んで、回収用の伝票が来るので、日本ゆうびんに連絡、2時間以内に回収。しかし両方とも箱もしくは梱包する必要があるが、旧式パソコンはここでも面倒である。しかも重い。
2.SONYのテレビ
現在使用しているものは、価格.comで購入したものであるため、買い替え下取りを利用しなかったのだが、これも面倒。買い替えでもないテレビを引き取りをお願いできるかどうか、電器店に電話するか、家電リサイクルセンター(区の清掃センターで紹介してくれる場合がある)と連絡する。そして引き取り日を決める。そして前日に時間を確定させ、それまでに玄関先にテレビを運ぶ必要がある。(名前その他の紙も貼っておく必要がある。マンションならば部屋番号)そして業者確認のうえ、料金支払い、5350円。(リサイクル料金と出張料金の合計)
まだテレビ台やBSデジタルチューナーは別途処理する必要有り。継続。
3.プリンター2台
POWERPC7500用のプリンターの処分と同時に現在使用しているプリンターも故障したので、これも各々粗大ゴミ代、280円。モデムその他の機器は通常の燃えないゴミにしたけど、ちょいと気になる。
4.冬物スーツとワイシャツ
スーツは今年の冬限りということで、着倒しました。
ワイシャツ2着は外出用に着て、パジャマとして4日着用しました。
これをコナカに持ち込み、割り引きチケットをもらう。これらは道路用の防音材にリサイクルされる。
これは最近流行の下取りセールの先駆けであるが、ほしいシャツはないので、購入はせず。
5.スラックスのリフォーム
とっても気に入っているが、ウエストがきついスラックスを「銀の糸」に持ち込み、ウェスト出し中。

以上だが、自分のしつこい性格がイヤになる。

26.WAO!

リサイクル2である。
R3の優先度というのは、reduce (節減)reuse(再利用) recycleである。
ただし個人レベルでは、資源・商品・サービスによって、reduce (節減)が有効かどうかというのは分かれる。エネルギーについては個人世帯の努力はかなり有効である。京都議定書以降、一般家庭の電力消費は大型テレビやPCの普及により増大している。せめてこの増加分を相殺するか、PCを上手く使って他の電力消費を削減する努力が必要だろう。それに依存するサービスについても、工夫が必要である。ネット通販やオークションは便利だが、資源消費には影響する。従来的な取引の方が効率がよかったかもしれない。このあたり地球・国家レベルの実験なのだから、シェアリング等の効率化が必要だ。いずれにしても市民レベルのアイデアやネットワークは、ポジティブに形成できる可能性がある。
しかし商品はどうだろう。20世紀型の流通構造、世界中から東京にモノが消費量以上に集まる構造が変わらなければ、効果はない。この新しい構造はエコをエコノミーと考えても相反することではない。
reuseについては、ファッションレベルではかなり行われている。古着である。また今や手に入らない高級素材である。しかし一番問題なのが、大衆服である。高収益を上げている服飾チェーンはどうアプローチするのか。オフセットではすまないだろう。また「都市鉱山」といわれるハイテク機器に使われる希少金属は回収率を高めるべきだ。
そしてrecycleである。これはこのために非効率なエネルギーを消費することが多いのだから、元々reduce 、reuseの最後の手段である。またreduce 、reuseを前提とした生産・流通するシステムが形成される必要がある。
ここには家族・社会・国家・地球という有機的な共同体が必要だ。
個人レベルの努力と人材の支援が必要だ。
支援したい人がひとりいる。

今年から井端の登場曲が変わった。ビートルズの隠れた名曲?しかし私はユニコーンの「WAO!」がいいと思うのだが。広島ファンの曲を、しかもWBC関連の曲をreuseだって?
いいものはいい!

2009年4月24日金曜日

25.ベスト・オブ・カンタビーレ

朝は、クラシックを聴く。
バッハのアリアからグールドのモーツァルトのピアノ協奏曲という流れなのだが、
何故か今日は「ベスト・オブ・カンタビーレ」というコンピ盤の曲を聴いた。
このコンピ盤が何か説明はいらないと思うが、今は出てないというところにこんブログがこだわる理由がある。
コンピは新旧・邦洋の名曲を集める切り口として、癒し系から80年代からトレンディ・ドラマ楽曲から色々と企画されてCDが売れない昨今、結構いい商売だし、またながら族系の受身音楽ファンにとっては結構大事なものだ。
最近「ザ・ベストテン」というコンピ盤がでたが、そこにはテレビ局やレコード会社、音楽出版社やプロダクション等の大人の事情を汲んでまとめた偉人がいたのだろうという想像はつく。
そしてこの「ベスト・オブ・カンタビーレ」は、そのような調整前だったこと、そして公式盤のようなものが出たこと、そして演奏は見事な企画盤だったことはあるが、やはり大人の事情で消えたのだろう。
私が、コンピ盤を支持する理由は既に述べた。自由が丘の「きたー!」に似たバーテンのやっている赤いバーでかけているコンピ盤は最高だ。
その一方で、コンピ盤の限界も感じる。オリジナル音源では無いケースが多く、音質に限界がある。
またアルバムが最新ベスト盤になった現代にはあまり関係が無いが、かつてはアルバム毎のトータル・コンセプトが存在し、40分前後の時間で完結するものだった。
このコンピはかつての生活や出来事のBGMだったという記憶を呼び起こし、感傷に浸る道具にすぎないと思うからだ。企画もののAVの総集編と一緒で、全編アクメ状態でつまんないのです。前戯のない結びつきは味気ないのです。(最近は結びつきすらいいアラフォーですから)
三部作とかシリーズを発表順に読まないと気持ち悪い旧世代のこだわりかもしれないが、
村上春樹の三部作とか「ご近所」「天使」「パラキス」の順序がばらばらって、ちょっと気持ち悪いよね。
そして、もう1点、今回は海賊盤ではないが、海賊盤については許せないものだが、唯一の利点は、ユーザーのニーズを的確に反映し、ヒット商品のヒントをくれることである。
海賊盤天国には、夢のような商品がころがっている。これを提供できない作り手も反省すべきではないか?

2009年4月23日木曜日

24.酔って候

酔うとテクストを紡ぐ速度は上がる。
しかしその断片を翌日見ても皆目見当がつかない。
だが、美しい。
『デビルマン』というマンガは永井豪のトランス状態でエンディングが描かれ、重要なキャラクターが突然死んでしまう。そしてその作品はどうなるか?
ワインの味とテクストの誘惑、どちらをとるか?

2009年4月22日水曜日

23.王様の仕立て屋

イージー・オーダーのスーツが一昨日出来てきた。
昨日着ようと思ったら、雨で残念。どこかに雨女がいるに違いない。
今日はワインバーなので、一応避けて、明日か明後日におろすかな。
今回は『王様の仕立て屋』というマンガに影響されていた時、友人に教えられた生地屋さんにお願いした。出来栄えは満足なのだが、同居人からはボタンが良くないという指摘だが、これは気分で変えればいいし、それこそいらないスーツのボタンをリユースできる。このあたりが引き算の人生を考えるアラフォーには楽しみだ。

2009年4月21日火曜日

22.モリのアサガオ

野に可憐な花があったら、できるだけその場で、まっすぐ咲いてほしいと思う。
でも花が枯れそうになったら、その美しさを保存したいと思う。
拘置所の死刑囚舎房の刑務官と確定囚との交流を描くマンガを読んでいる。
ネームが情緒的なのと絵が特異なので、時間がかかる。
「モリ」は拘置所、アサガオは午前中に咲いてぱっと散るところから、死刑囚のこと。
なかなかタフな話です。
私の周りのリス系自由人はまっすぐ育つかな?

2009年4月20日月曜日

21.プリトヨ

万城目学と森見登美彦という二人の京大卒作家。親交もあるそうだが、とかく一緒に扱われる二人だが、そんなことないかな、京大ミステリー研なら珍しくないが、二人の特徴はこんな感じだ。
万・・・日本の名作を貪るように読んでいる。理系にチョイ憧れ。(文系人間にありがちです。)磁力のある場所にあいた小さな穴の先の非常識だがあると考えると楽しい世界。特に日常との同居する不思議な世界。世界に生きる一見まともなキャラクター。
森・・・文学ジャンルや文体についてパロディやパスティーシュを意識的に行っている。京都という古都に巣食う魑魅魍魎、意外とまともだが、そもそも存在自体がマジックリアリズム。
このふたりには共通点というよりは、微妙な差異を前提として、それぞれが共鳴し、21世紀のカンサイという異国を形成し、そこにフィクションが生まれている。
万が世界に生きるキャラクターなのに対し、森はキャラクターが脱線し続け、世界をかなり動揺させるという違いはあるあたりが、差異といえば差異だが。
さて『プリンセス・トヨトミ』であるが、大阪女学院の南場先生が登場するのは、読書サービスだろうが、旭ゲンズブールというキャラクターの一部しか明かされていないことを考えると、スピン・オフもしくは更なるスケールの新作を構想中なのだろうか。松平元とか鳥居忠は『ホルモー六景』的なスピンオフか。
実はヨーロッパ三都物語なんていいと思うんだけど。
でも旭と鳥居の関係って結構あるんだよね、最近のカイシャにも。
頑張る女子にでっぷり短足おじさんを気取るのは少し夢だが、これはこの作品とは関係ない。

2009年4月19日日曜日

20.談志が死んだ?

風邪なのか、鼻水が止まらず、のどが痛くて、節々が痛いのか、ぼーとしながら、談志の独演会に行く。
よみうりホールは、年末の談春の独演会以来だが、夕食をとれなかったので、有楽町の諸国物産ショップ(名前は知らないが、北海道ショップと同じビルにある)で、いそべもちとくさもちとかりんとう饅頭を買っていくことにする。
開演ぎりぎりだったので、いそべもちを食べ、かりんとう饅頭に取り掛かる時に、出囃子が聞こえたので、あわてて口にいれたのだが、なかなか家元が出てこない。ひょっとして、と思ったその瞬間に登場。
いきなり壇上で寝転んで、調子よくないとつぶやき、そして姿勢を直して、自分が何も面白くないこと、そして死ぬのも大変なこと、落語論、いつものジョークとあって、ああ今日は落語がないのかなあという客の反応を感じたのか、「ちゃんとやるから」といいながら、トークが続く。
そして「二人旅」。これは隣の観客によると、もっと調子が良ければ、謎かけともじりで二人の会話が弾んでいくという。
そして二席目は「今の談志」について語った後、イリュージョン落語についてコメントあって、「粗忽長屋」で幕かと思えば、またあげて時間を確かめ、8時半と聞いて、もういいだろうといいながら、短い落語をやるような素振りを見せて、いつものレストランジョークを3つ。
談志はやはり死んでいない。彼をモデルにしたキャラを登場させるつもり。
最後に、苦言。
今回は2階席なのだが、喫煙スペースが2階にあり、仕切られてないので、煙が蔓延してました。どうにかしてほしい。さらに後ろの客から「首を回すんお、どうかしてくれ」と言われて、2席目は我慢でかなりつらかった。あなたの馬鹿笑いのほうが場を乱すといってやりたかった。
しかしその後の夕食@随園別館新丸ビル店で、同居人から、
「それはやめたほうがいい」
「えっ?」
「その首」
「・・・」
無意識だった。気をつけます。水餃子と合菜載帽はうまかった。でも新宿本店(しかも改装前の汚い店)のときより味が大人しくなって高くなった気がする。
『プリンセス・トヨトミ』読了。詳細は次回。裏テーマは「親の心子知らず」。親も知らず。とかくこの世は難しい。

2009年4月18日土曜日

19.雨よりも優しく

雨の日に会って、そのまま朝まで一緒にいられたら。できたら、晴れた朝の光を一緒に浴びられたら。
昔も今も素敵だと思う。問題は「雨の日の女」がいないこと、いても僕の前に現れないことだ。

『20世紀少年・第二章』
原作の複雑な伏線が整理され、しかも原作を忠実に描いた作品だけに、とてもわかりやすい。しかしその一方で、監督の駆使したテクニックが目立つのはどうだろう。
新宿ピカデリーで見たのだが、昔の記憶からすると、信じられないほどきれいで、11Fにある劇場からエスカレーターで降りながら、歌舞伎町1番街を上から眺めるというのは初めてだなと思い、この作品はやはり新宿の映画なのだと納得した。それを春の夜に見る。少し肌寒いが、もう冬ではない。
久々に前向きになれたことに感謝。そして今も後ろ向きにはならない。

ちなみに、『20世紀少年』は時代を背負った男たちの、世界を変えてしまったことへの戸惑い、そしてあくまで個人的な人生を生きるもので、世界を守るヒーローではない平凡な男、永遠の少年の物語である。こうにはなれないし、また違う生き方をするのだろう、自分は。

2009年4月17日金曜日

18.Aha体験、イチロー・・・

茂木健一郎の「Aha体験」とかイチローの生活リズムが一定だとか、これ全て、創作の回路という話と同じではないかと思っている。だから毎日書く。その習慣から創作のシステムが確立される?
その一方で、受け手として慣れてないものを求める傾向がある。
万城目学の新作については、そんなところがあって、関西三都を舞台にした三部作を読むとそう、思う。しかも彼には、出版エージェントが存在(これは今や日本でも常識なのか?)し、出版社選び、PR活動の仕切りだけではなく、作品に対してもいろんな意見を言うという。
従来は編集者の役割の部分だと思うが、村上春樹の最初の読者は夫人だと聞いたことがあるが、万城目は出版エージェントのようだ。
作品の独特な雰囲気が彼一人なのか、それとも出版エージェントのコミットもかなりあるのかはわからないが、作品を生み出すシステムとしては、十分以上に機能している。
万城目ワールドは、関西の三都と異邦人、大胆な設定、そして近代文学のvariannteともいえる人間関係や展開で形成されているが、今回の作品も裏切らない。裏切らないところが最大の欠点だ、
東野圭吾の新作は、裏切ってくれるのか。

2009年4月16日木曜日

17.赤壁の女

女優の才能は演技力ではなく、その身体性にある。身体、そして声。身体は身のこなし、佇まい。そして声は湿り気だったり、周波数だったり。『レッドクリフ』に出演しているリン・チーリンを待ち受けにしている。しかし彼女の声にはがっかりする。美と知性とセレブな育ちなのに、あの声。
さて、宮崎あおいであるが、天安門に引き裂かれた技術者と経営者の運命という話もあるのではという妄想である。

『バフェットの財務諸表を読む力』(徳間書店)
永続的競争優位性を持つ企業に投資し、長期間保有せよ!
その企業は・・・
販売及び一般管理費は一貫して低いことが望ましい。
多額の研究開発費を要する企業は競争優位性に先天的欠陥を内包している。
減価償却費は現実的なコストである。
法人税は真実の語り部である。
自己株式調整済み負債比率(負債合計/純資産合計)が0.8以下
優先株をあまり発行しない
自己株式の存在は豊富なキャッシュの証
内部留保の着実かつ長期的な増加
株主資本利益率(自己資本利益率)で経営者の手腕を測る。(自己資本利益率(ROE) = 当期純利益 ÷ 自己資本 × 100 )
配当アップよりも自社株買いを続けている企業の方が株主を富ませる。

すべて当たり前だが、あらためてこの金融危機後に読むと、反省しきりである。
買い時は弱気相場のとき、売り時は株価収益率が40倍以上のときである。
またバブルの上げはとんでもない下げを招くという。

さて、あなたはどうする?

なお、作品を創造するマシーンとしては、語学脳も必要である。
『東大英単』とⅰpodの歌詞表示機能で挑戦。
コピペする歌詞テキストって、やはり違法だが、しかしこれをフェアユースとしても無問題。

2009年4月15日水曜日

16.雨の日の女

雨の日の男と女の出会いは不思議だ。
もう10年以上前、仕事で知り合った女性は「雨が好きだ」と言った。
20年以上前に会った女性は「雨はキライです」と言った。
昨夜は大雨、嵐。そんな余裕もないほど、ひどい天気。
日曜日の『情熱大陸』ですごい人を見た。
出張料理人・小暮剛だ。調理も材料買い出しも後片付けも一人。しかし明るい。そして食育の情熱。
素敵な人だ。

2009年4月14日火曜日

15.文体の速度

創作の回路は、生み出す文体の速度が重要だ。そしてそれには体力が重要になる。

『少年メリケンサック』
大傑作。『あの頃ペニー・レイン』を思い出す感じ。そして映画『デトロイト・メタルシティ』よりもコミックの『デトロイト・メタルシティ』に近いと思わせる作品。

『五郎次殿御始末』
「西を向く侍」以外、すっかり忘れた。同居人が読み始め、感想を聞かれ、そう感じた。
それでもよし。

体力があっても回路が機能しないこともある。

2009年4月13日月曜日

14. Dorakichi in Tokyo

ドラゴンズ2008-09というDVDをみる。
特典映像の「ブルブルの輪」がダイジェストで残念。
そのわりに、ドアラ映像ばかり。
違法動画対策には、真っ向勝負というのが、最善手である。
謙伸に安堵。

2009年4月12日日曜日

13.土曜日の本

J.バースは、作品執筆と創作科教授の合間となる金曜午後にエッセーを書く。まとまって『金曜日の本』。
土曜日にはマンガを読み、その感想。
『サマヨイザクラ 裁判員制度の光と闇(上・下)』郷田マモラ(双葉社アクションコミックス)
『きらきらひかる』『モリのアサガオ』の作者が、裁判員制度開始を前に、その制度の光と闇を描く。
判決までに、裁判官・裁判員のバックボーンを描き、闇を感じる。そしてそこからのどんでん返しがびっくり、そしてもう一回。ここに光がさす。テレビドラマはどうなるのか?

『中央線ドロップ』元町夏央(双葉社アクションコミックス)
これは『サマヨイザクラ』を探していて、ついでに購入。中央線に暮らす人々の連作短編集。6人の主人公が輪舞曲のように変わっていきます。僕は「吉祥寺夫婦」が切ない。
二人が恋におちることはもう二度とない。
それでもね、すべてがゼロになってしまうわけじゃないんだよ。
怖い話だ。

2009年4月11日土曜日

12.篤姫エピソード・ゼロもしくは続・純情きらり

『20世紀少年・第二章』や『少年メリケンサック』を見逃し続けていてて、ムーブ・オーバーで快適とは言い難い劇場でしかやってない。ここまでくると、DVDまで待つか。TSUTAYAに行かない自分は見逃すのだろう。
宮﨑あおいの出演作ラッシュはまだまだ続いていて、その度に青山真治作品以降は「宮﨑あおい」ブランドが徐々に高騰して、「篤姫」ビフォー&アフターの時期の撮影作品により役柄が変わっているのではないかと勝手に想像している。
月9から最も遠い作品とかハリウッドとかアジアのスターとの競演とかはたまた仏の巨匠あたりなんてどうだろうと妄想する。
実は彼女にやってほしい題材はあるのだが、当ブログは、著作権にまつわる知識と判例をベースにしたフィクションであり、縦軸になる物語は、老作家とゴーストライターのサスペンスである。
今回は続編・スピンオフだが、法的解釈としては契約次第、契約が明確でなければ、著作者名表示で権利関係を推定するよりほかなく、この狭い業界内では紛争が起きれば、信義誠実の原則で解決を求められるし、そもそも紛争が発生しない、明るみにならない、そして裁判になるのは、よほどの事情ということもあって、なかなか難しい。
ソフト・ローという学者もいるが、これも講学上、どうなのか。
だが、宮﨑あおいのキャリアを考えて、松嶋菜々子みたいにならないことを祈り、次回作の設定を考えた。
『篤姫エピソード・ゼロ』と『続・純情きらり』は、ちなみに宮﨑あおいの作品と想定して考えるものではない。あくまで勝手にスピン・オフ作品として、見たいというだけである。
『篤姫エピソード・ゼロ』は堺雅人のビフォーである。あの徳川の血に悩む青年を見たい。しかも『大奥』とは違うタッチで。瑛太の小松帯刀がかなり便利に人物造形できたのだから、このキャラもネタはあるはず。『続・純情きらり』については、「山長」の半纏を商品化しなかったNHKに落胆するだけなのだが、
福士君演じる松井達彦と桜子の間の息子のその後である。福士君には『峠の群像』の続編である『俯き加減の男の肖像』とか演じてみてほしい役者なのだが、ちょいと見たい。
さて宮﨑あおいである。ずばりA新聞阪神支局事件の遺児であり、そして自らも新聞記者になった半生である。詳細は語るまい。

2009年4月10日金曜日

11.Change!

オババよりも衝撃を受けた「Change!」がある。
中日の落合監督の投手交代スタイルが変わった。
昨年までは、自らがマウンドに行き、ボールを受け取るというスタイル。
しかし今年は、主審に告げるだけで、あとは森バッテリー・コーチがマウンドに上がる。
一体どうしたのか?
最近のスピード・アップに対する彼なりの抵抗なのか?
ここには批判があるが・・・。
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/noritake/article/29

理由を知りたい。

2009年4月9日木曜日

10.限りなく透明に近いプラットフォーム

ネット配信というのは今や特に目新しい話題ではないが、著作権実務では大問題である。
問題の本質は、コンテンツの偏在である。放送とネットは今や送出手段としては、ほとんど差異がないものになりつつある。しかしコンテンツが放送に偏在している。その状況を変えよというのが、ネット系の人たちの主張だった。
放送国住人とネット国住人がいて、それぞれのコンテンツを有しているが、どうしてもネット国は放送国のコンテンツが欲しいという状態だったわけである。(しかしながら、ネット国独自のコンテンツも素晴らしいから放送国コンテンツとは違う発展があると私は思うのだが)
その場合、放送国とネット国の交換が起きればいいのだが、それまで放送国内の市場を前提にしたコンテンツをネット国に渡すには制約があるわけである。
放送国はその制約を理由に交換に応じないために、ネット国が恫喝したり、条約改正を仕掛けたりしたわけである。しかしもともと放送国で充足している住民には交換の必要がないのだからしょうがない。
だが、ここにきて世界的な不況である。
放送局がネット配信に力を入れ始めている。
やがて、限りなく透明に近いプラットフォームがネットにも誕生するだろう。
その時には、放送とネットという区別さえ無意味だ。
そのためには、通信系のビジネスモデルをどこかで放棄すべきだというのが私見だが、詳細はまた今度。

2009年4月8日水曜日

9.Drakichi in Tokyo

『博士の愛した数式』も『優雅で感傷的な日本野球』もタイガーズ。
しかし4連勝中のドラゴンズについてのテクストを収集すると・・・。

昔から、ドラゴンブルーが好きだ。
あのチームのユニフォームだからだが、ブルーのドレスが似合う女はいない。
いや誰にでも似合う色だから印象に残らないのかもしれない。
工場のつなぎというイメージなのか。
ある意味で制服といえるキャバ嬢のワンピに青は多いか、いや水色だろう。
性感マッサージ?、あれは岡田ジャパンのもじりだろう。
最近の女性は着まわしのきくスタイルを選択するから、黒が多いのが当然で、
くせものの青は少ないのかもしれない。
下着のことはわからない。
しかし鮮やかなドラゴンブルーなら、僕は下着フェチになるだろう。

最近、ドラゴンズ戦ハイライトのネット配信が始まった。
それよりも『サンデードラゴンズ』である。
You tubeや違法動画であれだけあがってるのに、なぜやらない。
特に東京の中日ファンは2ちゃんとYou tubeしか情報源がない。
最大の違法動画対策は、自ら配信することだ。
DVDの特典にするならなおさらだ。

今日は勝てるかな。

2009年4月7日火曜日

8.やさしいキスをして

「こうしてるだけでいい」
最近は、キス願望が強い。
香里奈と玉木宏のキスシーンにため息をもらした。
やさしいキスって何だろう。
「作品」ではこのあたりの描写というよりも、少し変わった目線で、描きたい。宇宙船目線の男女のキスとか。
日曜にみた2本の映画が偶然そんな気分になった。

『ウォッチメン』
戦闘シーンや血の描写はどうにかしてほしいが、冷戦終了とともに役割を失うヒーローたち。
火星に佇むヒーローの背中に漂う哀愁にたまらなくなった。
『チェンジリング』
アンジェリーナの演技や体型だと無理だと思う設定である。
セリフ回しやサイボーグのような体形はアクション向きである。
しかしイーストウッドはさすがだ。
「リアル・ストーリー」というクレジット、そして悲惨な展開にやりきれなくなるが、
ノンフィクションなんて甘いものではない、辛口のフィクションに仕立て上げた。
この残酷な世界では、罪を犯すものも人間であれば、罪を許せないのも人間。
また神と対話し、贖罪を願う死刑囚も人間である。
人間への愛とは許すことなのか。

『へうげもの』の各回のタイトルは、名曲のタイトルになっている。
連載時には気づかなかったが、いい遊びだ。
著作権を弄ぶ感じがいい。
ミスチルの歌詞を利用(引用ではなく)して、もしくはリスペクトされて時代小説を書いたら、微妙に刺される。しかし章題にタイトルならば、読者への挑戦状になる。

2009年4月6日月曜日

7.リサイクルも半端か。

本をバカ買いしたので、欲しいもの&行きたいところを我慢する男。
生活にもR3を実践できるかのトライアルは続く。
Reduceは買わない、飲まない、間食しない。
Reuseについては、15年前のジャケットの肩パットを外して、ラインを改造できないか、考慮中である。
(「銀の糸」に持ち込もうと思っている)
Recycleは、読んだ本は、とにかくブックオフとアマゾンで売る。ワイシャツもコナカに出した。スーツも青山かアオキに出すつもりだ。しかし結局礼服とスーツを作ったし、シャツも増えた。
そして本日の下取り日記。
まず冬物フィールドコートと靴をリサイクルに出すことにした。
55品目のIY堂は、3,000円以上の買い物が条件であるが、現金500円。
スーツ・コートのイ○ンは、買い物は必要ないが、1点500円の商品券。
17時に品川で映画を観ることにしたので、大井町でIY堂、品川シーサイドのイ○ンとする予定だった。
しかし、同居人を新宿に送り、池袋で本をバカ買いしたら、北の国のミサイルで仕事モードになったため、渋谷西武の地下でふく茶漬けというわけにいかなくなり、予定変更してGAPで電話待ち。
結局無事終了したので、ふく茶漬け、そして代官山のタブロイドニュースとまわっていたら、帰宅したのは3時。
そして少しテレビを観ていたら、15時30分。大井町に着いたのは、16時過ぎになっていた。(150円)
イ○ンにいくのはあきらめ、IY堂で下着・靴下で3,000円というのでも悩み、A4ファイルを加え、3,098円なり。下取りコーナーを探すのにも時間が費やし、もう16時38分。そして冬物フィールドコートを下取りで500円。あせって京浜東北線で品川へ。(ヤマダの来店ポイントも稼げず。160円)
ここからが何とも情けない話になる。
映画の一本目はプレミア劇場で、2,500円!(カップルシートでひとり!)
居酒屋で食事のあとは2本目。これはレイトショーなので、600円引き。
2本目をみおわって、行きと逆で帰るので、310円のはずが、大井町・自由が丘間の切符を失くして、さらに150円。駅に同居人が置きっぱなしにしている自転車でかえるはずが、鍵を忘れ、タクシーで890円!(Co2は?延滞料金は?)
捨てるプリンターは粗大ゴミで200円×2で400円。
映画代や交通費を除くと3,798円。これじゃあ欲しいものが買えない。「京味のお椀」をいつギフトにできるのか。
次のリサイクルはスーツ編。

2009年4月5日日曜日

6.歌うテクスト、笑うトマト

「オオカミの桃」という美味くて高いトマトジュースがある。

『ブラザー・サン シスター・ムーン』
80年代の青春。三角関係。この奇蹟の時間にめぐりあえたか。昔は欠乏感ばかりだった。今は確かにあったと感じることができる。そんな小説だった。
セックスはあるのに、セックス描写がない。
退廃的なのに、退廃がない。
そんな今のケータイ小説の対極にある作品だ。
『はじらひ 含羞 我が友 中原中也』
羞恥心は変換できるが、含羞はがん州となるノートPCにまずは絶句。
これも三角関係、ちょいとBL系のコミック。モーニングの連載にはたまにこういうのがあるようだ。
小林秀雄がマイブームということもあり、関連書を読んでいるのだが、今は品切れだったので、アマゾン・マーケットプレイスで購入。ちょいと高い。
小林秀雄と中原中也、そして女優の卵の三角関係というのが表面的な関係。しかし実は、秀雄と中也の愛憎に周囲が振り回されている。中也は秀雄との関係を「詩人と批評家」に固定しようとしたが、秀雄には、そんなものではない感情があった。

『明智左馬助の恋』
アマゾンといえば、出品すると即売れるのが加藤廣で、売れないのが浅田次郎である。
さて、本能寺三部作もさすがに明智側だとネタ切れか。『へうげもの』以来、織部に興味を持っていることもあり、本能寺の変も謎のひとつだが、その時までの歩みが今回はあまりに平凡だ。おしい。
しかし、「信長の野望」を左馬助と狩野永徳の対話で語るあたり、すごい。
安土城の日と月、暦との関連とは。

『夕映え天使』
売れない浅田次郎の最新短編集。酒を飲んだ勢いで読んだので、ほとんど残らない。
人生が引き算という側面があることを気付いた自分には、リサイクル対象か。

『駅弁ひとり旅1』
九州一周の駅弁旅。アクションは時折、すごい作品があるというが、この情報量がすごい。
手元に残したい。

5.燃え上がるテクスト

「塔」の中にはテクストの断片があふれている。
18世紀のコルセットの付け方から、21世紀の新米主婦の料理日記まで集まっている。
かのJ.L.ボルヘスの「バベルの図書館」はコンセプトだったが、Googleの事業は、その状況を実現しつつある。アメリカの出版界との和解はその歩みを着実なものにした。
テクストがマラルメのように生成され、その肉声・表情を世界中の人々が感じる時代に、著作権なんて無意味だ。
No copyright , But works!
作者が作品を生むのではなく、作品が作者を選ぶ。
もしくは作者がなくとも、作品は存在する。

2009年4月4日土曜日

4.バベルの図書館

「老作家」の「塔」には古今東西のあらゆる物語の断片が集められている。ここでは時間という観念は何の意味もなく、ただ物語の断片が一つの作品となる死の瞬間だけが存在する。ここにも対称性の揺らぎは存在するから、何らかの化学反応が起きる瞬間には、物語の断片が揺らいだ時である。
「老作家の」の作品は、作者とか読者とか、言表とか言説とかの秩序が崩壊し、エネルギー反応を起こす。そして作品は生まれ、死ぬ。
だから「老作家」にはゴーストライターであるとか、偽作であるとか、盗作であるとかという観念は全く意味はない。「塔」にこのシステムを形成してから、作品を生み続け、そして死ぬのを眺めてきただけだ。
そしてこの宣言は、「老作家」自らが、作品となることを意図する。
このシステム自体を物語とし、それに支配されるのか、支配するのか。
そして「塔」は崩壊するのか。メタ・フィクションである。
著作権法的には、著作者だけが、このシステムのプレイヤーである。
「著作物を創作する者をいう」(著作権法2条1項2号)
そして創作プロセスについては、法は観念しないから、他には第14条に「著作者名として・・・・・・表示されている者は、その著作物の著作者と推定する」とあり、第75条の「実名登録」でも推定される。
ゴーストライターについては、著作権を譲渡した者と考えるか、法人著作物の従業者とみるか、講学上の争いがあるが、判例が存在しない以上、決め手はない。
また物語の断片の対称性が揺らいで作品が生まれるというシステムは文学論の範疇であって、法学の対象ではない。著作権法の判断とは審美的なものではなく、あくあまで財産上の争いなのである。
ここに著作権法の限界がある。

2009年4月3日金曜日

3.妄想するより金をくれ

ある作家の言葉がずっと気になっている。
作品を読めば、その作家が女にもてるかどうか、すぐわかる、と。
当時、高校生であった私は、ただただ、戸惑った。もし彼の言葉が本当なら、自分の作品は、そんなもてない男の戯言にしかならないのか。また、その作家はどちらだろう。
この言葉に今でも縛られている。答えが知りたい。もしかすると、意外と常識なのか。友人とかまわりの男にはそんなこと、話題にしたことはない。恋人には怖くて聞けなかった。
Barで口説きたい女の何人かに尋ねると、全員が全員、「その作家はどちらだと思う?」と逆に質問を返してくる。サメのようなといわれた行動と対照的に、おたくっぽい風貌を思い浮かべて答えた。
「たぶん、もてないと思う。」
その後、一瞬の沈黙。実は、もてるかもしれない。もてないのはそんな質問をする自分ではないか。
そして話をかえる。しかしその後の話も弾まない。何となく店を出て、二度と飲むこともない。
そんなことを繰り返して、いまだにわからない。だからこんな質問は今はしない。よほど話が転がらないときだけだ。
なぜ自分がもてないかは、今ならわかる。
相手の何気ない一言にはっとなり、すぐ結末を急ぐ。男と女のミステリーは謎解きだけではない。
その舞台設定、技巧を二人で味わうものだ。一人だけでは美酒にならない。

作品を読めば、その作家が女にもてるかどうか、すぐわかる。
ちなみに、この言葉はある作家との対談での発言なのだが、その相手は「……」。
そして何年か前にこの言葉を発した作家に会って、尋ねたら、こんな答えだった。
「さあ。でもそんなこと言ったかな」

2.プロジェクト再開

この作品は、ある老作家が死のふちに横たわり、自分の作品が何人かのゴーストライターによるものであることを明かす。そして彼の遺産をゴーストライターに配分することを宣言する。彼の終の棲家となる「塔」にゴーストライターを集める。
遺産を受け取るには、自らが真の作者であることを証明できたものだけである。