2011年3月26日土曜日

634.311から①

3月11日 地震。電車が動かず、会社で宿泊。同居人もバイト先のオーナーの家に。
12日 朝、仙台に赴任した友人の無事を確認。自宅は大したことはないことを、同居人が確認。夜に原発が爆発。
       通常体制に戻れないことを確認。夜10時に帰宅。停電・断水に備えて、風呂桶に注水。避難袋を見直しておいてくれ
       た。とにかく寝る。
   13日 同居人が買出し。とろろ昆布、保存食、乾電池を購入していた。乾電池その他を追加でいこうとしたが、原発が怪しく
       なってきた。そのまま節電・家にこもる。
   14日 早めに出社。そのまま宿泊。4月からのプロジェクトを先行実施。地震から原発事故と言う感じになってきた。
   15日 マスク。めがね。首にタオル。フードを被る。パンツ・コートを2軍を着用。静岡でも地震。浜岡原発の位置を知り、愕然。
   16日 計画停電開始。朝5時に出る。どうにかラッシュに巻き込まれず。自由が丘の駅は人があふれたとか。
   17日 ようやく知り合いの無事を確認するメールを送る余裕ができる。今日も宿泊。長く同僚Tと話す。
   18日 まだ停電・電車・原発が微妙で、テレビ番組もL字、CMもAC。夜に同僚Iと久々に話す。地元のカフェで久々の一杯。
       父親が福島まで被災した人の話を聞くが、無事だったと言うことで、よかったという。
       それ以上、何も言えない自分のボキャ貧が情けない。
   19日 マスク、レインコート、買い物をする。(あとから19・20・21と放射性物質が舞っていたことがわかる)
       外食もなかなかできない。
   20日 隣駅のそば屋、水を購入。出社。雨を避けてよかった。判例を読むが、頭に入らない。
   21日 雨が弱いうちに、帰宅。テレビはL字抜けた。テレビも正常化へ。

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